ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔54〕父は母が忌み嫌う難儀な抗争に頭を突っ込んでいました。教職員ストです。父たちは劣勢でしたが、な、なんと、その日教組に反旗を翻す側の委員長に立候補。こてんぱんにやられた敗北だった。それみたことか?と母はなお激しくののしります。父はこう自分を振り返るのです。のぼせもんやったと。長崎で言う、のぼせもんとは、形振り構わず熱くなり、みずから先頭に立つ者を揶揄する言葉ですが、母はそういう父の目立ちたい願望に釘を刺します。自分を何様だと思っているの?アンタはただの禿。男の気概ってのは、そういう半端なものを指してはいないのよ?って。キャロはこう思いました。この国は、同じ民族でありながら、解決してない形にならない難問を抱えているし、あることが解決を見れば、そのあとは、すんなり行くのでは?という論旨。でも父も母も、全く怠惰ではなく、すこぶる俊英。困ったなあってのが、直感でしたが、このときに、示唆があるのです。ひとつの家庭はすべての家庭に通じている。近い将来とはまさに、家庭の中から、革命家が突然に現れてしまうような嬉しい未来。ではどうすれば??父を見なさい、いったいなんで、あれ程、必死に、戦前戦後の資料を集めている?新聞に鍵があることに気が付いているとはいえまいか?新聞に??でも母は、それを、全く開かない。むしろ、怪訝の対象にしかしていない。だとすれば、その二人を結び付けるものが、必要ね?神は、準備万端でした。この娘を自由の名の下に泳がせたことの意義はこれから現れるだろう・・・と。