デニム・ブルー・サファイアママン6の7

 その頃どれくらいテレビが高額だったか・・・それでも私は貰った退職金はたいて購入します。残りはしっかり貯蓄します。まだ、アパートで荷物の整理にかかっている頃です。憧れの三種の神器手を入れればすべてをクリアできる予感があった。それと妊娠中の鬱屈です。容子のときには働いていたことである程度紛れていたかもしれない。しかし今回は階下に、沢山の相手を抱えていた。敵ではないもののいつ、なんどき、そうなるかはわかりません。夫は風見鶏タイプで根っからひとが好き!!でも私がそれに合わせていたらいつかは精神を病んでしまう。例えば夫の姉・・・ひとつ返したら3つ帰ってきた。じゃあふたつ返したら?十は返ってくるでしょう。途方もない時間の浪費です。私はスルーによってそこを回避出来ると睨んだのです。子供にもそこを教え込む必要はあったけど、事柄が浮上してからでいい!!とそう踏んだのです。容子は聡明でしかも一回自分が人間関係で頓挫している。出来るだけ、安全志向を取ることがあらかじめわかっていたことで私の作戦は固め易かった。とりあえず先に夫が行き、実家の整備を手伝っていました。ちょうど私がお腹が大きいということで慎重になっていることが相手の好感を引き出していたのです。赤ん坊が男子であることは分かっていたのです。義母の喜びが私には手に取るように直通していたのです。

イエローダイヤ・マン1261

 僕は悩んでいる最中あの場所で迷子になったあの時のことを思い出す・・・あれは2013年だった。どういうきっかけでそうなったか・・・道を間違って歩くことによって豊橋平野に迷い込んでずっとずっと出口が分からず、三時間近く歩き続けたことがあった。反対方向を採ってしまったんだろう。ガラケーは持っていたけど、こういう機会はまたとはない。僕はどんどん平野へ入っていく。この真骨頂は先が見えないことだろう・・・って当たりをつけて・・・途中誰にも会わない。そこでふつうは心配にもなってくるが、それは当たり前!!って自分に言い訊かせる。タクシーを呼ぶことも実は出来た。しかしお金がもったいなかったのだ。毎日毎日ネカフェで生活していて三千円超は出て行って、正直出口に着くまで弱音は吐くまい・・・てそうみずからを鼓舞する。やっとこさ、夕方を迎えるその前に見たことのある看板が遙か向こうから見えてくる・・・助かった!!とそう思う。極楽湯だ・・・なんでこうも僕はドケチなのだろう。タクシーをしかし呼んでいたとして自分がいる場所を明言は出来なかった自信はある。あのときの迷子の経験が僕を大きく成長させた。自力で街へ再び辿りついた経験が僕を立ち上げる。心配になってよろけそうになったとき、僕はこの平野を思い出すのだ。

ルビー・ウーマン856

 きっとイイコトもあるさ・・・ってプラス思考を引き出すとガ然楽になって、もう一回朝方、ギルバートブレイクが放映でそれ見ながら涙も出てくる。映画があたしを癒してくれる・・・そしてささいな事柄さ!!って思えてもきた。一緒の方向性は見出せなくとも、あたしが出て行くのも変・・・だって、あたしの家だ。じゃあどうすればいいの?って距離を置くしかないってことに気が付く。確かに、水と油の性格で、あたしは人と会うときにも十五分前にいくタイプ。あっちは三十秒前で充分いいってタイプ。あたしは綿密過ぎるってせっかち過ぎるって言われてしまう。几帳面な性格に亡夫と結婚したことによって成長してしまった。イイコトではあるけど、窮屈感があるという。こうしなさい!!ああしなさい!!って言うこと自体がもう遅きに失している。それを言う年代では向こうはない。ほっとらかしていていいのに気に病む。自分が翻弄されているように思えてしまう。しかし、ちゃんとブログは第一に相手は考えてくれていることで見出せる。私は真剣過ぎるのかもしれない。一日経過したらなんてことない世の中の風情に自分が身を置くことが嬉しくなる。誰もあたしのことなんか心配してないようで、してくれている。はてなと関わって良かった・・・今救われている。

ピーパー・ウーマン1012

 今日は日が一日経過してしまい偶数になってマレさんの番ですが、オリンピックのことですね?ええ、応援はしたくないって思ってたけど、急にベースボールを思い浮かべてやはり応援していくことにしたの。野球のことが気になるんですね?しっかりと見届けたい気持ちになっている。じゃあそれを今朝は詠む?そうね。槍が降って来てもオリンピックは開催する!!っていう政府の強い気持ちの根源には、メダルのこともあるんだろうなって。あああ、無駄になっちゃいますからね。もったいない!!メダルが無駄になること・・・これをなんとしても避けたかった?でわお願いします。コロナ禍に オリンピックの 鐘が鳴る☆これは七月だから七回鳴る…☆

デニム・ブルー・サファイアママン6の6

 八方美人で誰にも打ち解ける容子の性質が将来的に全部+の要素になるか?というと疑問もあったのです。毎日まっさらの心で万人の心に影響受けてその本来の素質が壊れてしまわないか?などが、母として心眼にはあったのです。いい教育を受けて文意感覚を常に磨いていてもそれとはまた開きもあるし、個性が違うのが若い頃の才です。それが才能なのか、才覚なのかは別個判断出来るとして私が拘ったのは思想の領域なのです。あんな悲惨な敗戦を経験した国にしては、全くまた戦前の心に戻っていること自体、由々しいのに、誰ひとり、そこを言わない。これはまた同じことが起こる前触れでは?とさえ、思って自分自身、禁じ手としてしっかり胸の奥に保管していました。同じことがやはり起る・・・そこを思ったのも歴史は繰り返す習性を持っていたからです。容子はいいように言いくるめられて、戦前の思想を丸ごと受け入れてしまうのでは?優しい彼女の感性はそういうのに弱い。母としては、忌み嫌っていた陣地へ行く覚悟も同時にあったことは言っておきましょう。夫は絶対に自分の母親を立てることは分かっていたけど、容子にだけは自分の踏んだ轍を体感させるわけにはいかない。しかし夫もそこは少しは思っていたことは私も気が付いてはいたのです。同じ右翼でも千差万別あるのが日本の特徴だったのです。