結婚して働きバチになってしまったり、結婚して小間使いのような使い勝手のいいお手伝いさんになってしまうなら結婚の真価はゼロ。身を粉にして働くとか、夫や子供の犠牲になれ!などというのは屁理屈だ。今・・・人生六十年を振り返って心底思う。結婚するならまずお互い一ヶ月間、ニート出来るくらいの小金を貯めてどれくらい一緒の空間におれるのか?ダメなのか、その辺なんだよね。キャロルはニッポンのニートをジャパニートと呼ぶ。これはケサボイだが、ここがなぜ今まで表に出ず隠れていたかがようやくわかる。環境、家柄そういうものがメッポーいい子女も多い。お坊ちゃまも多いのだ。彼ら彼女は恐らくニートの達人でこのまま家の中で根を張るままではなく、必ずや豊富な言葉やアイデアを抱えてみずから参上してくるとこう値踏みしているのだ。彼や彼女は何度落ち込んだだろう。その回数を上回る快挙を桜島噴火口のように備蓄していていつ人間噴火してもいいくらいのエネルギーを蓄えて今日(こんにち)がある。結婚がセカイワクの快挙をもたらすときがあるとすれば、お互いの長所を素直に認め合ったときだろう。