アクアマリン・マン

 ゲシュダボの見張りを逃れて、快調に執筆する容子だが、普通の親なら、違うことを頭に描く処だ。第一、容子は普通の状態を常に嫌悪し、生きて来た。普通の状態なら、何一つじぶんの個性は生きない…そこを分かった上での生き方選択だろう。時代に巻かれろ!!の反意語で良い。僕は新しい概念ばかりを見せつけて来たこれまでの容子より、今の方が遥かに好きだ。愚かな自分は認めた上で、他者と対等に張り合う。そういう覚悟は観ていて爽快である。