貧しいながらも気品を身につけた人の家の中は美しい。そういった意味で容子の母親が部屋の掃除だけはいっぱしだったことは話しておきます。今の容子とは雲泥の差があって、しかし容子の場合、紙に埋もれるくらいになっている、このことが、あたしは文人を目指した甲斐があった。いつも、叱ってばかりですが、この点は抜きん出ている。文人にとって世間様はスケッチブックでいうと白い部位でキャンバス。そう思うことにすればあまりに気をつけることもなく物事はスムーズにいく。昔の文人たちは相当にお金に苦労し、毎日どうか・・・どうかお金を工面してもらえませんか?とそういう生業だったこと、それを考えると容子には最初から、貯蓄あるしっかりした夫がつき、二回目の結婚ではあったけど、もしも、私が容子なら、ちっとも夫のお金をあてにはせずに、執筆活動を出来たと比較するのです。今、あの子だけではなく五人の子供達も同じことを考えているはず・・・お父さんの無理して頑張って貯めたお金をもっと有効に使いたかった・・・はあるでしょう。最初の1万枚近いはがき投稿は消えてしまうし、そのあとのFAX投稿エッセイだけは残ったけど、もしもあのときの短歌、1万枚近くが狂歌だとしたら?不意にもそこを想像してもったいないな・・・を思わずにはいられない。あの子が一瞬一瞬を捉えながらドライブしながらもよりのポストから投稿した歌。もしあれば価値が半端ない。自分では短歌だと思い投稿はしたけど狂歌だった可能性は高いからです。