デニム・ブルーママン13の18

 兄の家を訪問したときは、容子の話によると伯母のほうが、緊張でがちがちになって言葉遣いなど、むちゃくちゃ気を遣っていたと後から聞き、私も納得します。兄は通常の世界の人々の中でももっともスマート。無粋や田舎風情が全く見えない。一緒に自炊も経験したことがある私は兄のスマートさをもっとも知る人間といえるでしょう。その兄が私の結婚のことを相談したとき、深く安堵する様子・・・今も鮮明に覚えています。そんないい話に応えない女性はいないぞ?ってすごまれ、私も決心したほどです。夫と婚姻届を出すまでにかなり迷い、実際に役所にそれを出すのが容子が生まれる3ヶ月前。新居になる今のチトセピアに入居が決まって住所の変更の後からがいいって夫が発案したのです。それまでは竹の久保のアパートを拠点にしていたのです。私は容子が自分のいとこの女の子に会い、そして日本一高いビルに行き、船橋ヘルスセンターで泳ぎまくったことがいい思い出になったなら悔いはないです。夜には

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歌劇鑑賞のようなシーンも経験が出来て他に思い残すことはなかった。ただし、容子は近眼でもメガネをかけてない時期。仏壇に参っても、脇田大佐の没年齢もよく見えません。だからそのとき、49歳と見間違う。妻であるキミも同じく49歳で亡くなっていたと帰宅して話すのです。