イエローダイヤ・マン《標榜編》〔249〕俺の育った家庭は三時には紅茶とシュガートーストが出てくるような会話のある家庭でお茶の時間を日課とした。そこでいろいろ母に質問攻めに遭う。難儀ではあったが、一応そこで答えているというスルーしないがあって、紅茶を俺は子供時代に覚えた方だ。社宅転勤が多くてほぼエレベーターもないような生活だったがこのエレベーターは便利なようで、怖いときがあって、見知らぬ隣人と狭い空間に押し込められてしんどい。実は俺は、エレベーターのない友達の家に行くときが最もコワ楽しかった。わくわくするし、必ずトッペンまで、駆け上がってみたものだった。俺のうちは二階だぞ?なんで上までいく?って友達がいぶかり注意するがそこは未知の世界!!螺旋階段なんかだともっとウキウキしたし、そうは出来ない体験だ。上る感触と下りる感触を合わせ会得しようとした。どっちにも癖や応用力は要って、階段ひとつにも趣向があること、角度や空間あることを思い知る。そしてゲームを通じて仲良くなったあの友達に返しにいくとき・・超絶怖かった。中学にもなろうかという時いきなり、明日返せ!!って言って来て、忘れていた俺も悪いが敵もさるもの、返却は父親にしたというエキセントリックだった。彼は不在だったのだ。