奇しくもアメリカ社会の病巣をえぐるような映画がキャロルの参考になったか?というと全くならない。人は全員出で立ちが違う。スタンスが違うのだ。そこをまだ人生未熟な人間はわからない。メディアの責務は個人を蓄えさせることにはなく公共の利益を闊達化することでもなく軒並みそこがわかっていないメディアこそが暗礁に乗り上げることだろう。メディアの基本は民主主義とは離反する場面もあってちょっと今の時代なら、ええ?という場面だが難しく難解に捉えない方がいい。よく陰謀論の人々は情報の操作を言うがそれは当たり前だ。情報は操作されていてそれをしないと世の中が立ち塞がってしまうから操作常套だし致し方ない。そんな幼児論では冷笑されよう。情報はいわば苦肉の肉ではなく汁なのだ。そこで個人が観客が顧客がどれくらい想像力を逞しくして自身の知恵で調べ上げるしかないという道程でキャロルの場合は家に居ても逐一情報は入ってくる。これまで培った情報網は金鉱にも値する。まさか、これを抱えて銀行に行くだろうか?情報を欲しい人々が蓄えに来るだろうし、その為の渉外係りがあるのだ。世の中は意外な人が貯めこ込んでいるように情報も同位だろう。もてるビジネスマンの法則、彼の周囲に人がいなくなったとき分け入るのも気が引ける。手勢が居る時を狙うのだ。