気立てのいい女子とはやはり、こういうこと言うと粗相に見られるのでは?を配慮していわば計画的に動ける気配り女子。男子にも気立てのいいは使用可だとキャロは思う。そういった男子は昨今多い。今朝は特にこの三投目イエスタエッセイで、巻頭の序文としてキャロルは二十一世紀男子に拘り、ここを軸とする旨伝えておきたい。2000年生まれが、ちょうど十六歳を迎えるということ、輝く希望に満ち溢れているだろう。偏差値教育によって、相当の難儀を強いられた我々の世代にはないご加護が動きすべての学生が有意義で差別のない学問体系にいることが何よりだ。そこが幸せの起点であることは言うまでもない。昨日の映画グッド・ウィル・ハンティングでもあったように何も教育受けなくとも優れる人間は存在するのだ。そこを妬み、こっそり葬ることなど、少なくともアメリカではない!ということ、あの教授の奮闘でもわかる。生徒であるマット・デイモンがいつかは自分を余裕で越えると戦きいわば即決回収したのだ。映画がすべてを語るとはいわないが、認識として持っていないといけない。優れた人間が目の前に現れたときの対処だ。自分が大人になった時ではない。今の今から大問題だ。君が素直な気持ちで級友の優れた部位を受け容れ可能なら、大人への扉も自動で開くのだ。