俺はキャロルが帰ってくれればもう何も要らない。お墓のために残したお金にも全く未練がない。いうなればそういうことは二の次だろう。なんでこんなにキャロルが可愛いかというと、努力を積み重ね、コンニチアル人間だからだ。確かにそれは家事分野ではなかった。その積み重ねを俺は知っているからなお、こうしてはっきりした答えを出せるのだ。おのおの人間という駒が持っている意味は各人あって、あいつの場合、或いは王将よりも上?とすら思うのだ。その場で勝負することすら出来なくなる、つまりアイツが盤をひっくり返したときだ。すべての駒がチリジリバラバラ。起こらないとは言い切れない。あいつなら恐らく朝飯前でそうするだろう。物をしたためるときにも自分の感性はあくまでも介助に過ぎない。原動力の部位は別エンジンなのだ。あいつの生き駒としての位置を考える時に俺はいても立ってもいられなくなる。そしてちょいとこのニッポンに意地悪したくもなる。頼もしいぞ?と俺の伴侶ながら加担したくなる。カッチポンプでデルスカイしておこう。勝ちが決まっている連中との連携だ。