森永先生のライザップダイエットといい高松宮日記といい頭が混乱していてさらには不正選挙の実態を見て恐ろしくなって、何を真っ先に信じたらいいの?新聞やテレビ他マスコミでないことだけは確かだ。改めて本当の世界、真実の屋台骨をニッポンから選び取らないといけないだろう。日記というものの重さを知らされる。なんという几帳面さ、りりしさだろうか。記された日記に嘘はない。キャロルもネット日記を付けてはいるものの肉筆というものの生生しさに実は感動を覚えた。何もここまで胸を打たれなくともいいのでは?と自分に問い掛けたがやはり第二次世界大戦における昭和史を貫通する日記、特にそれが、てらいのないものだけに否が応でも頭打ち状態に陥らざるを得ない。ネット社会とその恩恵に浴さないかつての社会をつなぐものが恐らくこの手書き日記。ケサボイは置く秒キャロルだ。☆どんなにキャロルが速さを自慢しても価値を見ない時があってそれが直筆文献だろう☆ほなあバカルいってみな~何を言っても 糠にクギっす~ 日記あるだろ?