この六投目がオレガイに相当するクレーマーシゲコのあたりきちゃりきになりますね、しかしここでは彼が語る彼像ではなくキャロルが見る、そして分析する、クレーマーシゲコっていうことになります。シゲコは鶴の恩返しのようにキャロルを見てない。わかりますか?ニッポンのかつては、そういう思想だった。あの織物がキャロルの原稿と思ってください。織っている場面を見られたら、鶴は慌てて、もういなくなりましたね?キャロルから言わせれば、現代女性は逆です。織っている場面を見られたら、嬉しくて、もっともっと、与ひょうを喜ばすことが出来るのでは?と決意を新たにする。文学や、芸術も、思想を軸としながら展開、推移していくことを顕著に表す場面だからくれぐれも注視が要る。しかしキャロルがここまで言わずとも、みんなはそれよりも先を行ってる!!でもね、経済観念において、貨幣価値分析において、シゲコを上回る人材この国にはいないんだ。ここはお墨付き入れておこう。