いじめに負けない人生論は、いじめについての論議で、いつもどっちの味方もせざるをえない教師の中間点についてで、その心境に配慮するとキャロルもヒトゴトではない、教師こそが大変なのだ。いじめている子供の親が恵まれない人だったら尚更、難しい。シロク時間働きずくめという人々が案外多いからだ。愛情一杯で、過度に金銭を与えられる家、そして子供に全然時間を掛けられない極貧家庭、そしてやたら格式に拘り上流を保とうとする家、高級車に乗り回していたりするから配慮が要る。このみっつの世帯に対して、モンスターペアレントがどこに居るか?潜在するかは全くわからない、貧乏な人々だって、激昂すればモンスターに変わる。変身するのだ。教師としていつも真ん中にいたり、ふたつの思想を持っていますなんて、慰みにもならない。しっかり自分の信念を言える思想、自分なりの観点を持っていないとままならない。例えば、例を出す。僕は学生時代、いじめっこだったんです、でも僕自体、そのことのおぞましさに気が付いて、止めた・・・そのキッカケは一体なんだったんですか??こういう質問がペアレント側からでればシメタもの。いじめっこの息子を改心させることが出来る。聴く耳を持ったペアレントだから。大切なのは、中庸に在することのふらふら感。ここにまず教師自身気が付くことなのだ。