いじめに負けない人生論、努力は必ずしも実らないといった書籍も読もうと思います。自分としては努力がもしも実らないなら、子供達が努力から背を向けるし、どうしたものだろうかって、努力っていう字をじ~っと見つめたらわかった。奴らの力っていう枠組みですよね。自分ひとりの力では、人間は何をしても救われないけど、多くの人々のひとりひとりの善意というものが、どれだけ偉大であるかそこに気が付いたら早かった。父が孤立しずっと負け組だった理由がね。なんでこんなに素晴らしい感性を持っている人が金銭の闘争に敗れたか?父の生き方がキャロルに英知を与えるんです。正しく反面教師です。自分は特別の種族なんだ・・・という処の驕りは意外にもタヤ直伝だったのです。親が子供を可愛いと思うのはわかりますが、溺愛はいけません。キャロルは放任主義でしたから人のことを言えた義理ではありませんが勘弁して下さい。金銭を侮れば必ずそのシッペ返しを受けます。父は京都に学びに行く事で自分の命の洗濯をしていただけのです。その学問は半端でなく真剣だったのに、なぜ、晩年は宗教の力で守られなかったのか?という疑問です。どんな宗教にも弱点はあるし、そこまで言う程、勉強はしていませんがひとつだけ言えるのは・・・姉のキャロルはこうも努力邁進するのに弟は刹那主義。するとこの両者の違いとは?母はキャロルに五年間の幼児教育を課したが弟はそれを受けていません。この差異だけ。子供にとっては過酷でしたが真価はあったのですね。