サファイア・マン《緻密な男編》〔17〕人生の中で、一度もあざとさを出せない、或いは出さなかった人々は残念ながらヒトカドの人物とか博識の頂上とも言えるノーベル賞は取れません。そして勇気の面では?ここがあれば若干変るが、昨日の映画、数学者の彼、頭に血を流して叫びながら学問してました。あれが正常なら?キャロルは喜喜としたのです。誰かに遠慮して書くときも低姿勢で・・・と、一体誰に遠慮しなければならなかった?自問しますが、恐らく己に遠慮したのです。弟も落ちこぼれだからこそ社会に遠慮した。特に弟、どこに勤めるにしてもアルバイトに行くにせよ数ヶ月の空白期間を問われる。いつか、社会に出る勇気は縮小の一途を辿ったのだとキャロルは推定する。決め付けはよくないし、その期間、彼は病、痔と闘っていた!と答えましたから、それはそれでよし♪としましょう!キャロルにも弟にも教育一家の落ちこぼれというレアレッテルが貼られ、容赦なく貼られたそのレッテルを剥がすために二人奮闘して来たと言っても語弊はないでしょう。例えば、PTA役員をしている時弟の学年女子、母親になったその女子は否応なく訊いてきます。もしや和田君のお姉さまでは?彼女は美容師経営の夫を持ち回想するのです。やっぱり和田君のお姉さまだったんですね、お顔は似てないけど直感だったんです、あの頃の和田君は輝いていましたよ、足が学年一、速いんです!キャロルは弟がそんなにも速かったとは知らず当惑していたんですね。20歳で家を一旦出たキャロル、弟のそういう足才にも目配りしていなかった自分・・・猛省したのです。