昨日は朝の10時から、夜の九時まで、時代劇鑑賞。俺のこころが休まる。切ったハッタで、随分世知辛いと思いきや、必ず、悪人は切り倒される。この満足感ったらないのだ。なんで昔はすべてが尋常だったのだろう。俺にはひとつ、思いあたることがある。子供達の部屋の鍵だ。これは当たり前だと思っていたが、間違いだったと今思う。容子の伯母がカギを付けるときに異議を唱え、不安を訴えたというヒトマクもあった。確かに妻キャロルは子供部屋にカギは要るわよ!って明言したが、どうも昔式の方が良かった気がしてならない。子供たちに一部屋、一部屋を与えることが俺の思い描いたステイタスだったが・・・。このカギがすべてを分け隔てる、または俺を拒否するバリアになるなどと、当初想像だにしなかった。個人主義の台頭の負の部分を彷彿とさせる。親の権限で、カギを設けない家の建築こそが、正常な国への第一歩というリネンでいるのだ。