サファイア・マン《かけがえのない男編》〔6〕キャロルの中学校時代がそうであったからと真似は禁物。天才の一生と凡人を重ね合わせてはいけない。天才には、そうしなさい!という啓示や暗示あってこそいみじくも動くし動いた。前も言ったでしょう・・・。神が動かす右手だと。するとキャロルはメディアということになる。メディアは神の言ったことをそのまま写し書き。そもそも書き換えると重大な罪に罰せられる。おのずと慎重になるし、みんなが安易に真似ることの危険性は第一要注意点だからはずせない。裏返せば、伝えることの本義が教えられなくともわかっていたということは言えるし、いちいち触媒になって自分が変容してもまずい。そこは成長してきたな・・・って誉められるんだ。みんなが、地球人全員が同位の脳の進化を遂げているというのも思い込みで第二要注意点。こうであるだろう・・・はよくないが、ニッポンはともすると、こうであるべきが優先、それで国策を誤ってきたとも言える。これだけの落ちこぼれを出して苦しめて、まだ、平気な顔で、いじめを論じていること自体不節操な国であると揶揄されてもおかしくない。キャロルは世界共通にある学歴優秀者がいい国を作るのか?そもそも疑問符を付けて論じている。なぜなら、その優秀者達みずからが不正を平気でこなしてきたから。場当たり的な手法で、数々の不正を編み出してきた背景を見ながら、本当に憂えていた三島由紀夫の真相部分も同時に見えて来るんだね。最期の彼は確かに突出していて異常に見えたが、物事の真髄には気が付いていたし、来たるべきニッポンの未来の姿も見当が付いていた。そうでなければあれ程の警鐘は促しません。