面白い言葉や、ひねりのあるデラックス語って、なんの気なしに生まれるし、書き留めておかないことにはキャロル世代は思い出せない。その焦りってのがあるんだね。若い時には、必死にならなくても頭に保管出来たことがそもそも危ういってのは、脳が、日々着実に機能を失いかけているその予兆かなあって。一冊の本をめくり始めると、現在は浸透してはいない言葉が次から次に出て来て、そのときに、キャロルは相当ヒマ人だったから書き留めていったんだね。いやあ、札っちょんなんていう懐かしいものが出て来て、ああ、チョンガーっていう流行語もあった・・・っていきなり思い出して、言葉というものの果たす役割にも及んだんだ。美しいニッポン語とまではいかずとも、やはり流行したものには特別配慮は要るんだなあって。いま、にべもなくっていう言葉、若者は使わない。そういった若者に、ホゾを固めて、物申すことの出来る自分を持った、意識ある大人になりたいなあって思ったんだ。それはきっと、若者を位置付け、法外な利益をもたらすだろうから・・・。