ここでは、人生とか、社会に対して、普段は真剣過ぎるキャロが、一瞬、救われ、父の懐(ふところ)に抱かれているような気持ちになっていく短歌。36才くらいかな。キャロは、短歌でもコラムでも、掲載されると、すぐ、家族に見せて、意見を言い合うような、気さくな一面がありました。短歌も、読売夕刊に載ったときに、たまたま、父が、宇部に来ていたときで、教授もみんなで、喜びあったのです。まさか、そういう恐ろしい、結末を迎えるなんてね・・・。キャロ隠し事が出来ないタイプなんです。そして、新聞が果たしうる社会での役割、人と人の大切な出会いに関与しているってこと、でもそれを、せっかく教えたにもかかわらず、悪い結果を子供達の眼の前にさらけ出してしまったのです。我が家の子供達、新聞社が計算高いとそう思っている子供が大半、誰も、新聞を良くは言いません。社会での架け橋どころか、ひとりの人間を死者にしてしまった。それが、自分達の母であったことを、肝に銘じています。大人の最も恐ろしい部分を見てしまったのです。でも、キャロが新聞投稿を止めて普通に戻っています。新聞社も私企業であるがゆえの裏の顔を持っている、そういう戒めが、樹立されるのは、いいことです。それも、母の体験を子供達も共同で、体験したという希な例でしょう。でわ、キャロ元帥による、宇部市琴芝駅での父の面影の一首をお願いしま~す。横行する 世の理不尽も すべて解け 父と別れる 琴芝駅にて