子供達と関わるのは、意外にも短いし、それを黄金の時間として、共有すること、簡単ではないんだ。親は、自分の中で、趣味や、密かな目標を持っていて、それを、抑制しながら、家族の一員としての、責務を果たさないといけない。男のほうが、実際にはかなり、しんどいんだ。前にも話したかと思うけど、キャロが男だったら、今も、収入なしで、弟と一緒に脛をかじっていた。父の脛を一本ずつね。それを、考えると、みんなが、果たしたくても、果たせなかった夢が、キャロには一杯託されているんだなあって。だから、さらに、ここでのブログも心血を注いでいかなくちゃあって。福岡市城南消防署の前のマックに、パラソルが五個あって、大きなすべり台と五個のパラソル&テーブル。それぞれの家族が座っているんだけど、子供がいなくっても、そこに来て、しゃべっていいんだ。固定的概念が、強い人ほど、しがらみに囚われ易い。そういう、縛りが、この国を停滞させたんだよ。柔軟で、確固たる自分の原資についての妙案や機軸がきっと、浮かぶ・・・このパラソルの下でならね。でわ、屋外マクドナルドで子供達を見つめる老婆の一首をお願いしま~す。一生に 一度もわが子を 抱かぬまま 老婆になりて パラソルに憩ふ