言葉って、時に包丁みたいで、本当にドキッとさせられること、実際に多い。どこか、弟に対して、上から目線だったし、キャロの中で、軽蔑が蓄積されていたのも否めない。しかし、キャロ、早く気が付いて良かったと思うんだ。もしも、自分が挫折を知らない人間だったら、彼の良さを、見過ごしていた可能性はすこぶる高い。苦しみ、哀しみ、そして不幸、こういった逆境を知る人間の、持つ、深い洞察、そして磨かれた見識、こういったものが、感性として、感応として、これからのニッポンを世界の名だたる存在へと押し上げる。これは、間違いのない処である。玉音放送をこの国のリセットとし、過去を猛省し、人々がこれから正に磨かれていく個々として、川を上るあの鮭のように、命の躍動を漲らせるのだ。この国に存在するキャロを、徹底的に無視してきたマスコミの行状も行状だが、それにも増して素晴らしいのは、全くそれに動じたり、折れたりはしなかった女の気概であろう。キャロはこれからも本当のことを書いていく。わが身に降りかかったことをしたためていく。では包丁の一首、お願いしましょう。洗い桶の 底で小さく 息をする 出刃包丁の ひとり言かな