ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔126〕小さいときの母からの英才教育で、キャロは小学校高学年くらいまで勉強しないでいいくらいの語学力があり、先生の話の意味も全部わかっていて、隣に座った少年にはたと迷います。彼はお寺幼稚園出身なのか?それとも東望幼稚園出身だったか?彼の会話は活発で見た感じ野育ち山育ち、まさかの場合は東望幼稚園だが、そうではない可能性の方が高いって。しかし自分の観点が間違っていることも視野に入れながら横目で彼を観察します。俊敏でしかも手先が器用ということが観て取れます。動きが活発で同じ動作をしていることがないんです。まさかそのとき二人が同じ銀行に将来関係あるとは気が付きません。キャロルが行員の妻に、彼が同行の融資を受け割烹店を出す。五十年という歳月の重みを感じると同時に、キャロは今は存在しない彼の店に思いを馳せるのです。一度はキャロも夢であった本を出版しやがては著作権を失った。彼も、そのときの割烹はもうないけど両者には人生再稼動の道があったということです。人生五十代での難苦ならどうにでも再生は可能。そういう健康という最高資材に今、キャロルは手を合わせる自分であって佳かったなあって思うんです。