ピーパー・ウーマン931

 ジョーカーは余りにもホアキン・フェニックスにとって当たり役だったために、ついつい呼び方を間違える。ホアキンと言わず、ジョアキンって。あああ、確かにそれはいいですよね~~分かり易いでしょ?ホアキンではないジョアキンと言ってしまった家族さんのかなりの傾倒も伝わってきますね?なかなか当たり役に人生では出会えない。しかしこの役柄こそがホアキンにとっての人生、決めうる作品となり、真骨頂となった・・・そして第二、第三も待ち遠しく感じる。監督も素晴らしい任務を背負ったとともに責任も感じているでしょうね?確かにそう思う。ホアキンが出演のグラディエイターを昨日、鑑賞しながら監督がここまでマキシマスを苛めたこの映画で、何を、言いたかったのか・・・ってついぞ鑑みた。どこまでもコモドゥスはマキシマスを苛め抜いたけど、どこかに良心の欠片を必死こいて見つけようとしている、そういう自分がいたのよね。そこまで苛めてみて初めて観客の心に共通項として生まれている人間の”善”の出没をあらかじめ、狙ったのでは?それぞれが感得をし易いように?ええ、僕はそうだと思う。一方的に悪い奴が勝つときも歴史上あるし映画も同位。解ったわ、じゃあマキシマスはあれでよかったのね?そう思います。でわお願いします。子供じゃない だからみずからを 律して欲しかった☆コモドに子供が架かる☆