あるはずの筆箱がなくなったり、いじめの最初は余り言われないことで、本人さえも自分の勘違いかな?とか思うが、しかしあるとき鮮明にわかる。靴だ。それが無くなって、どんなに探しても見つからないのに、一時間したら戻っている。怖い!と思わないなら正常認識とはいえないだろう。いじめの本質は相手を困らせる・・・その汚い願望だと思うし、そういう場面で、複数の相手をしなければならないのなら暫く学校へいくのは我慢した方がいいのだ。キャロルも小学校時代にそういう経験をしたが担任が改善措置を当時、行なわないのは通常で、今の世の中のように人権に配慮の教室ではなかった。学級委員も先生の秘書のように細かく動き、誰かがいじめられても静観ムード。しかし影でいじめたりが少なかった。みんな表でやり合っていたのだ。その分、教師も見易かったし特定もし易いがあった。今のイジメは本質が歪。そして複数で来たときに対処を誤るととんでもない事態を迎える。それを防ぐために学校を休んだときにケアに赴く家庭教師のような国の無料サービスも要る。学校の勉強からも遅れてしまう生徒の心をセットアップするためのサービスである。