そういうのもあって、キャロルが出た長崎日大高校の有名人も話しておきましょう。チョッキンオリンピックで柔道の銅を取った長瀬選手、快挙は最近もあって、広島カープの大瀬良投手も同じ高校です。彼は本当に久し振りに観てその時は三失点だったんですが、体が大きくなって、フォームも変わってました。タマを繰り出す前、一回両方の膝を曲げる癖が改良されてた。その成長振りにキャロルはほおおおってなったんです。日大高校を出身は他にも一杯いますが今日は鹿児島大学をいきまひょか~母がそこの師範学校を出たからです。十五歳まで母はニッポンの軍国主義の教育を受け、自分が結婚してキャロルをお腹に持ったとき相当に迷う。本当に子育て出来るのか??って。民主主義はアメリカ依存で、まだ戦後十一年のその頃、見せ掛けだった可能性もあったからです。人々の母への対応でそれが見えてた。海軍大佐がお父さんということを隠していましたが、キャロルの父がそれを姉たち、妹に話してしまった。母としてはそれを言う夫が憎かったし言ったことで苛められる場面も多々。しかしお腹の中の赤ちゃんであったキャロルにこう問い掛けます。時代を切り開くことはあなたのお仕事ですよって。ほなあお願いします。母になる そのことを問ふ 極夜かな〔極夜を過ぎてキャロルは生まれた〕