イエローダイヤ・マン《標榜編》〔37〕俺は俺なりに自由なさい配で針路を決めていくし、その匙加減も自由。一体どこまで自由漲るニッポンだろうか、職場のみんなが俺に優しいし細心の配慮をしてくれる。その意味合いには当社のホープ的ないじり方や扱いがあって俺の気持ちはハイになる。これから負けることが一切起こらないような気がしているし、それこれも父の定年が露呈したものが大きくて男は以前なら終身雇用であったものが恐らく父の十歳下まではそれが可能でもそれから先はまるで見えない・・・。いわば絶壁なのだ。ニッポンの怖さはここから先であって、俺はまたいい人物をワイドショーで見つける。ウーマンの村本かと勘違いしていたがその人物こそがフルイチという人物で、俺は自分の見間違いを即座発見出来たことが嬉しいのだ。言ってる文言は冷静かつしゃいで、忌憚がないにも関わらず斬新で、それゆえ的を射ている。若者独自の開眼や発想でこの国をデザインし直すときに最重要人物、キーマンになる可能性も高くて将来が見えてきた観もある。なぜなら急発進や急ブレーキのないハンドル操作が肝心だからだ。思想を包括し合い、若者の意見を倍返しで生かすには、言葉の枠組み〔知性〕と異才〔発案〕が両輪になるからだ。