ルビー・ウーマン《黎明編》〔135〕沢山の心象や事象の中で自分がこれから詠もうとする分野、それの見極めよりも大事なのは自由俳句律の姿勢です。いつでも自由に句するとなると遥かに自由を極めていけると思いがちだが、この自由俳句律こそ詩歌の戦法なのです。ほおお、脇田大佐はそこをすでに会得しているのだな?いいえ、俺も容子もまだまだですよ。人様の句にどうこうアドバイスは出来ませんが、カワヤナギの本流とハイクの源流、もしかすれば同じ水域、あわよくば源泉かも?っていう気持ちで今いるのは事実です。それは?容子が文学のユーティリティプレイヤーだからです。ほおお、それですべてが奏で始めるっていう仕掛けだな?はい、ニッポンの素晴らしい奥義、文系の突出した魅力が全世界をいざなうのです。俺は今日、あることに感動した、容子がオスーナ選手は代打でもいい!って言った伴侶にすぐさま同調した自分を反省したことなんだ。そういう場面ありましたね?ああ、決して今日、オスーナ選手が打点に絡むヒット出したからではないんだ。わ、わかります。イチロー選手のことばかりにニッポン人は固執し、目一杯拘るのにオスーナ選手の未来についてちっとも考えてはいなかった自分の態度を容子は猛省した。そういういきさつを詠みたいんですね?ああその通りだ、いくぞ!日の丸を 背負うは苦し 大リーグ☆苦しには逃がしが掛かる。ニッポン人なんだぞ?っていう民族意識はサッパリ捨てて掛かろう、その方が清清しい☆