語外論草は今朝、十一日恒例の英語になったニッポン語でいわゆる外来語のマギャクって捉えたらいいんだ。今日はゼンクリを挙げよう。子供たちがよく使用で、例えば新ゲームを購入、それを全部クリアして今度は別の場所で売るんだ。こういうのを垣間見て、キャロルがどう思ったか・・・まず自分が物書きだったから興味はあった。全部クリアしたから売る。値は半分以下。それでもクリアしたことが貫徹でその歓喜がわかる。しかしちょっと自分らの子供時代とは根本が違うんだ。そういうみんなが出来るっていうこと自体共通項としてなかった。あえていうなら縄跳びや鉄棒かなあ、同じゲームをきっと同じ方法でアイテム使ってクリア。それって画期的でもなんでも実はないけど踊らされている子供らは興奮し喜んでいる、説明書も綺麗に扱い高く売ろう~ってなわけ。肌寒いさ、とても考えられない時代が接近していたしその通りになった。ゲームがバーチャルで面白いはわかるけど何でもかんでもそれが受け持つわけはなく現実との線引きが難しい。アニメの世界ではない現実といかに立ち向かう?ってとき大人の姿も子供はちゃんと見ているんだ。ここが怖い。自分たちに振る前になんらかの示しが大人からあるものと子供は当然期待する。ここは体現しなくっちゃあ。スペルはZENCOOLY。キャロはもうすぐ自分の人生ゲームをゼンクリするよ!だけどそれを誰かに二束三文で売ろうとは思わない。