首に掛かった十字架が気になって仕方ない脇田大佐。キャロルも同様、あの映画ミザリー。なんで、首に掛かったジュエリーで表現しなければならなかったか?この意図なんだ・・・キャロルも沢山のジュエリーには詳しい。宝石を集めていた時期があった。この十字架起用には意図があって、ペンダントトップに十字架をもってくるのをひとまず控えて考えてみたいなって、キャロルは思った。以前も観たがそのときには、十字架に付いてさりとて思わない。脇田大佐は低予算で、映画を作りたいならこの映画こそお手本になるだろうと。そしてスティーブン・キングさんの偉大さだろう。彼のこころは作品に投影され、誰もがミザリーの本が実際欲しいしあるのでは?と錯覚させる。ミザリーの生還。あったら凄いし、それこそ、読者冥利だろう・・・・でわ大佐、喜一郎定食お願いします。ミザリーの 首に架けたる 十字かな〔善と悪の境界は?十字にすると四分の一になるように人類はよっつに分類される〕