キャロルと一緒になってまず驚いたのはアイツの頭の柔軟性。もちろん長所はその裏に短所も控えている。豪放磊落というと聞こえはいいが、実はこの磊落をライラックの花に例えて、あいつ、自分を豪放ライラックの花と呼称していた。それがどういう意味なのか、一緒に暮らして暫くは気が付かなかった。あいつが投稿おたくであるいう裏の顔を俺は知らなかった。福岡に住んだ、あいつが31歳から35歳、つまりこの四年間がカギだ。俺の家庭生活教科書ガイドの重要重鎮にもなるが、どの分野が自分に最も合うのか、その専門をあいつ自体模索していた時期。エッセイを書き出したのは30代も後半に来てから。その頃のあいつは、詩や、作曲、童話を中心に書いて投稿していたのだ。後になって子供たちの報告で俺は知る。お母さんは原稿用紙に何か書いて封筒に入れて送っているよ!とかいう類いだ。俺はあいつの才能が開花することをこころのどこかで祈り続けてきた気がする。夫婦の趣味は最初から合致はほとんどないが、お互いの方向性は住んでいたらじきにわかる。相手がどこを見ているのか、相手自身にその専門性がわかるのを待つのも思いやりだと俺は思うのだ。