ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔68〕その頃、昭和30年代のニッポンの家庭の様子・・・。きっと、NHKなら秘蔵映像が一杯あるでしょう。まず洗濯機。ハンドルをぐるぐる回しながら、絞った衣類をそこに入れ込み、水分を取るんですが、後ろから見ていても、横から見ていても母の仕草がおかしくて、あれを何かに生かせばきっと面白いのに?って幼いキャロルは後年のニッポンに思いを馳せます。最初に衣類の端っこをまず入れ込むときはある程度の頭が必要で、要領が必要とされる。何回かキャロルも無理を言って挑戦をさせてもらいますが、母は困ったような顔。いわゆる苦笑なんですね。でも子供のこころは意気揚々・・・。そこにポイントがあります。理系でも文系でも興味あったら、とことん自分の手で行ってみたい!という気持ちが肝心。何もかも、手取り足取りで、課題や標的を大人が決め付けてしまっている今の教育現場、そこの突破口となる部位。何を知りたいか、学びたいのか?挑戦したいのか?それはユメのまたユメ問題では困るしちょっと違います。自分の視野内で起こっていることへの踏み込みですよね。人材として地球の住人として、もっともっとレベルアップする上でも不可欠だとキャロルは試案します。なぜなら、ひとつひとつの機器は利器だからです。これは文学界にもいえます。文学の分野でも特に、私小説やドキュメントのグループ、ノンフィクション部門ですがセカオワの活躍のようにセカジメ〔セカイのハジメ〕になることも決して想定外ではない、なぜなら技術帝国ニッポンへの期待の大きさですよね。