政治の世界とは一線を画するし、選挙もいくのかどうかで迷っている。純粋で、イノセントなキャロルは物事に相当シビアかつフィットに拘るようになっている。確かに義理堅いと脇田大佐は評価をくれたがどうだろう・・・。言っている本当の真価についてを自分の中で突き止めないといけないのだ。どの宗教にも理念があって、おのおの主張や譲れない点はあるだろう。しかし、自分を育ててくれた父の思いは一番先にあって、それこそが親の恩、恩師たるは親なのでは?と思いを新たにする。父が精魂込めて心血を注いだあの本を、まず、紹介していくことが娘のキャロルに今出来ること・・・。その題名は符合するのだ。米沢英雄先生の自然法爾と・・・。ただ、父の場合は章が付く。五文字なのだ。米沢先生の場合は数年しないうちに二版と速い速度で売れて、ドクターであられたこともあり、なるほどわかり易いし展開やさびもいい。あながちだが言えるのは父の本も決して見劣りがしないという読後感があること、ここが引き金のなってこうして書いている。本が売れるとか、売れないの天秤棒を肩に担うのは出版社だ。ここが全然宣伝しないと、やはりブームは起こらないし無理からぬ。そしてそれをするだけの価値があるのか?ないのか?に来る。キャロルは純粋にこの本は読み応えはあるとそう分析。弟はじねんをしぜんと呼んでいたので厳重注意した。そうだ、ジネンという呼び方そのものもシンプウではないのか?新風を巻き起こすべく、最初この読み方を考えた人こそ偉大なのだ。確かに父は自分の母のことしか身内に触れていない。本というものを知識人の専門書と理解していたし、やっとそこがキャロルにもわかってきたのだ。