思えばバンカーとして人々の側面を多々見てきた。それは家柄であったり最終学歴であったり企業足跡であったり・・・。しかしながら、その側面とは全く違う人間のこころというものもバンカー時代見てきた、パラノーマシゲコ。この眼識こそが刑事の眼識に匹敵するものだろう・・・。それを思うときに、キャロルは己の敏捷な感性をさらに研ぎ澄まされる。ダテや酔狂で、家庭生活を営んできてはいないのだ。むしろ、磐石な精神主義を貫いて今日に至るのだ。このシゲコは確かにあの有名な次郎物語を知らなかった。文盲だが、それがしかしなんだというのだろう。むしろシゲコそのものが生きる清貧字引なのだ・・・と。高校卒の比類なきバンカーがまたこの世に一杯現れて、イッパシの言論をのたまう日こそが、ニッポンが真に蘇る日に相当するのでは?とキャロルは強かにも予言するのである。