今朝は特にアメリカ短歌の日であり、オニール大尉も今朝の日をとても喜んでいる。川崎病も落ち着いて、やっと、月一回の検診でいいような体調まで漕ぎ付けて、この病気が原因が不明という点に考えさせられた。一概に論じることは出来ないけれど、母親の元にいるべきは子供だし、そこを長く離れさせられる哀しみも要因ではないとはいいきれない。いわゆるストレスだ。この言葉が出てきたときに大衆は驚かされた。今でこそ、様々な分野でいわれて久しいのが、当時、ストレスなどと言っていること自体揶揄される、ニッポンの高度成長期の時代・・・。誰もが、勤勉であろうとしたし、戦前のニッポン陣容の復活を念頭に置いた。いわゆる回顧欲である。近年、特に2000年を超越して人類の考え方も変容したといえる。哲学者たちのみが論じていた、地球規模の様々な分野に渡る論議を一般の人々がおおいに語り始めたし、それを牽引したのが携帯の進化であった。この論議がやがて新聞市場を乗り越えていく。お先に~と跨いでいくのである。今思えば、良かったなあとそう自身を振り返る。自分は確かにマスコミに無視されて、確かに深く傷ついたが、ある得難い特権を有していたのである。それが・・・答えなくてもいいという特権なのだ。