ルビー・ウーマン《ロイヤル・ボックス編》〔5〕コロンビアのエレピアンがアパートにはありました。月賦で、ゲップゲップしながら払い続けていたのですが、そのピアノに向かっていても、お金のことばかりが頭をよぎり、新曲は中々、生まれてきません。すでに24歳の時点で、30曲はオリジナルを持っていましたが、短歌と同位で壁ににぶつかっていたのです。短歌では、次のような光景でした。長女は母乳一本でしたから、よく飲んでくれるのは嬉しいのですが、時に、乳首を噛み付くことがあったんですね。痛くて、血も出て来て、手を挙げそうになる自分と対峙・・・。きれいごとでは済まないし、しかしながら、この赤児に備わる野性を、獰猛〔どうもう〕さを詠まずして、何が歌詠みかよ??って。かぶりついてくるのは、腹が減っているからで、その児の気性もあるでしょう。前夫は豪放磊落でした。酒もタバコも賭け事もやらないのに、大飯ぐらいだったのです。中華飯店が丸善団地にあって、南京と言う出前もやる店。さっき食ったか思うと飯はまだや??これはプレッシャーでしたねえ。五島奈良尾人は魚をイヲって言う。イヲば食いたか!!って懇願されて、本原のママのセンターの市場まで行きます。コロッケやメンチカツ、ポテトサラダ、アジのフライ。もちろん黒鯛も探します。煮付けには、赤目もよく使いました。五島人ですから、魚貝類や調理物には特に舌が肥えている。キャロ、当時を回想、猛省するんですね。食を勉強したり、工夫したりせず、略式で済ませたんです。30歳までに頭角を現したいっていう目標が優先順位として上にあった。同級生を見ていても思うのは、上京した人達は、ああ上野駅グループを含めてそれなりの成功を全員収めているんですね。自分が居る場所を、今回福岡に設定したのは、長い長い経験がはじき出した勝利の方程式。だからガセネタではないのです。