イエローダイヤ・マン《標榜編》〔161〕俺は正直いって1988年生まれが嫌いだ。この年代に生まれた者達はドライなのかトライなのかさっぱりわからず、昭和の方を向いて物を言ってみたかと思うと急に、ゆとり教育世代の顔になって個クールを前面に出してくる。正直わかり辛く気を遣うことも多い。彼らは中間層にあって、ことと次第によっては常に豹変出来る生地を既に構築で俺はそこまでドライになれない。自分の位置がわかっているからだ。1985年七月、俺は生まれて、昭和の匂いの中で育まれ、平成になったとき、三つ子の魂として記憶も新しいのだ。どんなに時代が変わってもとこしえのものがあるはずだ?いや正反対だ。俺は生まれたときからこの国に強い懐疑を抱いていた。そしてそれがどこから来るのか、ようやくわかったのが歴史で太平洋戦争を学んだ時・・・。なぜ、こんなに小さい国が世界を敵に回せたのか?そこは今も解明できてない。俺は新世紀生まれの若者たちにとって、もはや歴史の証言者かもしれずそこを踏まえてみると面白い構図も見えてくる。1988年生まれがどっちに転ぶかで随分この国が変わっていくというデイリーズシステムだ。彼らは昭和の律儀を優先する振りも出切る。この来ではなく切という文字にすべてが宿る。新時代を包括していくとき、ポイントゲッターになるのは彼らだろう。

ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔186〕優等生よりキャロルが高い注目を置いていたのがユーモア子女で彼女はそういう点でいうと成績は芳しくなくそのことを、自分の中で真摯に考えていたグループ。しかし田舎の家にしては豪奢で応接豪華セットというものを生まれて初めて見るのです。大人用三人掛けソファの前に1人用椅子が二脚。その陣営を見て気分が高揚します。こんな場所にいつも腰を掛けているかと思いきや、これは大人が座わるものだと彼女は説明し、家の全部を見せて貰う時も、かなりシビアに今は留守の家人に遠慮するのです。これはお母さんの大事な鏡台とか、お父さんのロッキンチェアとか・・・。それぞれ大人が購入した物品でおいそれとは子供達に、ましてや外から来た者には見せても触らせてもよくない、彼女の様子からそう取れました。そのやり取りの最中にも彼女の個性が好きになってしまうのです。母がキャロルの友人を遊びに来させない理由も何だか飲み込めてここに思想の深窓もあるとそう開眼するのです。親に叱られるのも覚悟で家の様子の仔細を見せてくれたこと、この勇気の一端が見えたことで信用するのです。小人は恐らく大人を見て想像をするのです。その時、出すぎたマネをしないように子供は気配りをして大人世界を温存する。それが各家庭をレクチャーするという仕組みでした。

大嫌いな奴でも一緒の時間を紡ぐことはあって、それがMLBテレビ観戦だ。シゲルちゃんを生理的に受け付けられなくとも我慢わ~出来る。仕事の為だからだ。キャロルの夢が賭かっている。いつか・・・大リーグの球場で歌う事がキャロルの夢で実現させるためには情報活動がカナメになる。彼が言うのが当たるのだ。この前も、ドールズで始まってドールズで終わると彼は予言しその通りに・・・怖いし一か八かとはいうものの野球が好きでずっと西武を見てきたその真骨頂に、言質が問われることはなく一緒に見ている方が無難と思う。個覧してではサッパリわからない。そこが味噌になる。観衆の観点や勘を長い間の経験で会得している例で、実はこの間、カブスの先発ラッキーに勝ち投手になって欲しくなかった・・・とはっきり言った。なぜ?ホームランが出たあと球審に文句を言いにいったからだ、しかしキャロルだけに耳打ちする。ラッキーはいい投手だ、そしてカズスのジョン・ジェイがそれを凌ぐくらいラッキーパーソンだと・・・ほな大リーグ戦竜お願いします。ジョンとジョン 互いの力を 出し合おう!!〔ジョン・ジェイとジョン・ラッキーのことだにゃにゃん♪〕

脇田大佐は忖度され過ぎて、その超常現象のまっただ中に生きていたことを実感する。玉川さんのそもそも総研に架けてもいい・・・忖度が芸術家にあったなら芸術そのものが劣化の道を辿るだろうし、そういった意味合いにおいて、自分もそうだった浮世の仕組みに思いを馳せる。そもそも全く忖度されない人物がこの世に存在するのか?脇田大佐はそういった層こそが大事で、無分別にも差別され、ヘイトの対象にされてきた人々の来し方を思う。忖度の欠片も与えられず、その恩恵にも浴さず、今を慎重に生きている清貧なる庶民たち。自分はそういう人々を迷わず獲る!!と。ほなあ大佐、喜一郎定食お願いします。忖度の 欠片も持ち得ぬ 大器かな〔大気が掛かる・・・才能とは元々空気のようなもの、周囲をビシッとさせうるものだろう〕

俺はバイブレーションに携帯をセットしていて、最近嬉しくてたまらない。ソフトバンクからお知らせが頻繁に来る。あのTカードを作って安心したら今度はポイント五千円分くれるからカードを入らないかというメールを受け取り、俺は絶対に入るぞ!と申し込む予定でいる。しかし憂鬱にもダイレックスのカードに落ちているから勇気というものが半減していることに気が付く。俺がカードに落ちたのは人生初の出来事で、フライパンで後ろから殴られたようにショックだった。やはり高齢だからだろう。俺はカードを作っても使用せず、自宅に保管しておく積もりだ。そして五千円分のポイント付与に預かろうとニンマリ姿勢でいる。ズルイかもしれないが審査に受かってもいない。論議のまな板にもまだ乗ってはいなくてそこが面白いのだ。庶民にとってもみんみん蝉にとってもこのメールに乗らない手はない。デルスカイしておこう。人生は一度きりだ。

イエローダイヤ・マン《標榜編》〔160〕久し振りにチャップマンの雄姿を見て俺の心がハイになる。ここまでのスピードと研ぎ澄まされた球威に五年契約の信憑性とその計画も見えてくる。勝ちにいく姿勢をまず整えた・・・そのことで、ヤンキースは言葉を使わず説明に達したといえる。俺は大谷のことを鑑みる。あれほどの球速とバランス配備を持つ大谷の個性が本当に開花するのは大リーグでの活躍の仕方が、やはり違うかもしれない・・・とアイデアが飛び交うことを認める。二刀流でいくべきだ!と俺も最初は思っていた。しかしそこでの怪我を思うときに、本来持っている投手としての才能を最大限生かすことを最優先にすべきでは?と。アメリカンリーグはニッポンのパリーグと同じ枠組みで、打席に立つこともほとんどなくチェンがあれだけ打席を重ねてヒットがなくてもいい状況にいたというのが、アメリカンリーグのチームに最初いたからだ。ナショナル系のマーリンズに来て打席での仕事も多くなって、ヒットがないことをいろいろ言われてこうなったがアメリカンリーグでは投手に打力を求めてはいないのだ。投手の本分をしっかり出して貢献することが要になるし、昨日チャップマンの投球を見て大谷効果の別の見方が俺に浮上してきた。彼を本来の力で勝負させることが監督の正しい愛ではないか?と。

ルビー・ウーマン《ロイヤル・ボックス編》〔186〕友人の多くに会うたびに、自分の経過をつかさず説明しなければならない責任に面倒臭いものはあってもそれをやらない限り嫌疑は晴れず、素直に話しわかってもらうことにしていたその頃のキャロルです。幼馴染はキャロルが中学時まで優等生だったのにどうしてそんなことになったか、とにかくことの真相を知りたいようで、しかし当人を傷つけることにならないのか?幾分遠慮もあったのです。ことの真相をつまびらかにしていくことも大事だが、自分がさらなる誤解を招く状況にもいたことで、そこから話を繰り出す方法が最も合っていて短大を中途で辞めていたことです。極めたかったフランス語。せっかく入学しながら自分の道のりをチェンジし他の分野へ新しく歩き始める・・・。彼女の堅実さがキャロルを爪弾きにまでしないまでも、懐疑を呼び起こす瞬間。自分なら、きっと勉強の道を進むだろうし、そうあるべきだ!と彼女が言うかな?って思うと意外な答えが返って来るのです。やってみることも大事かもしれないね?特に音楽のことは全くわからないからって。音楽を小さい時から修練して来た人間とそうでない人間・・・人生での答えの出し方が同じはずはない。それはしかしあくまでも机上の組み立てで、五線紙でした。