イエローダイヤ・マン

 このコーナーが、番号札がなくなり、ホッとしたのもつかの間、番号が、必要なブログも実際は存在してブログを考察出来る重要な疑義を極めることが出来そうだ。そして、僕は知ることを大衆が同時に知る場合、そうではない場合、どんな乖離が認められるか?そこを解明出来れば物事は進展する。中途半端な気持ちを少しでも持っているなら、それも良し。元々、俳諧はおおらかな人々を巻き込む遊戯だ。傷ついたわってげんなりしても、あっけらかん。明日は笑顔になる。誤解だったことが分かるからだ。人の言うことを真に受ける僕はきっとピエロになる公算は高い。だから、常にマックと歩調を、合わせて人生を生きて来たのかもしれない。