イエローダイヤ・マン《標榜編》〔113〕セイネンガッピを調べていて法外な感動に包まれる。古市氏だ。1985年の一月。俺たちより一学年上ではあるが、1985年に誕生で、やはりこの人物がこの国蘇生のキーパーソンになるだろう。なぜなら平成生まれでは違う母親達が育てている・・・この認識は強固にあって、それが二十一世紀超えに生まれた子供たちの母親というのはもっと意識が違っていて修正やバトンタッチが困難になると俺は見ている。1985年から1988年最後。つまり昭和最後の組・・。恐らく古い体制と迎合も出来る、包括も出来る、意外にも柔和にそれをやってのける最後尾に就けるこういった人材たちがチームを作って、まずは闊達な意見交換やる時点から流れを掴む戦略体制になる。こういった限定的志向は俺の中で存在感を固めつつあって、古市氏と同様に俺もお子様が苦手。特に自分中心の母親と新幹線で隣接したりするとじ~~とこっちを見てきたりして嫌だ。俺の後ろの席にいる子供と席を替わって欲しかったのだろう。俺が気がついて動いたから良かったものの、あのまま降りていれば俺はインスタグラムの餌食になっただろう。自分の口であえていわない、いや言わずともわかって欲しい!こういった無言の責任セオリーを母親たちが体現していることがおぞましい。偽メディアが牽引した民主主義的社会現象と言えるだろう。