イエローダイヤ・マン《標榜編》〔2〕俺は俺なりのグレード表示をすでに開発していた。自分の仕事がニッポン語をアメリカにわかり易く説明しながら紐解くという仕事内容で、同級生たちを見ながら、いきなりこころの変革に襲われてしまうこともあった。なぜなら彼らの人生取った観である。こんな時代といういきなりボックスを生きていて、終身雇用を盲目にも信じる同級生には同じ基調があってそこはヒントになった。みんながみんな、会社の文句を滅多に言わなくなったことで、それが脅威に感じるのは何だか自分だけ?そういったジレンマがあった。入社してすぐ交通事故を起こした同窓もあったりで、会社兼、自分の処理係のような同窓もいて、少しはわかるが、これではこの国をいい国にしていくことは出来ず、小池さんの希望の塾こそがヒントを与えてくれるかも?っていう算段はあった。橋下氏がもしも講師として来るなら俺はエントリーしただろう。日曜日はいつもコインランドリーで構想を練ってゴルフ打ちっぱなしに通うという日課だからだ。しかしこの国にはとんでもない逸材が隠れていて、それがいつかは出てきて、ガラリニッポン、ガラポンが現われる気がしてならない。警察の一族でいうと俺は変わり者だ。三年もせず退署した。誰もが一族を誉め讃えたが俺は自分の人生を送りたかったのだ。