昔の家庭人男子の出で立ちは和装でキリっとしていた。家用の着物、リラックス出来るし、それをそのまま来て寝る。つまり風呂上りに着替えるのだ。少なくとも我が家ではそうだった。ちりめんの男用帯・・・それは広げると人を寝かすことがあるくらい幅があって、それに乗せられてキャロルは両親に左右揺さぶってもらうのが好きで父はそれを楽しみに帰って来た。母も嬉しそうだった。キャロルは弟が生まれてもそれをやろうよ!とせびる。母はこんなに喜ぶんだもの、仕方ないやという気持ち?なぜなら着物自体がなくなり帯だけは取っては保管していたが、やがてその遊びにもピリオドが打たれる。子供が大きくなったからである。情報にも何年経っても通用のものと今日しか輝かない情報がある。この見極めを知らないとダメだ。確たる国際的スクープをもぎ取り、自分の国を輝かす男女にならねばならない。そのためには長期短期の分別とともに、まだ、身につけることがある。情報定義である。自分達が利益をなくすようなことになっても輝かしい情報があるということで、たとえ国益を損なって地に堕ちようとも伝えなければならないときもある。そこから這い上がる姿もまた美しいのだ。