語外論草っていうこのコーナーでは主に外来語を、その言葉に由来する思惑を掘り下げてきたのだがキャロルはあの宇宙哲学勉強会のハリー山科さんの話を聞きながらふっと思ったのは縄文時代への興味と宇宙人の存在なのだ。今まではそういうものを全然信用しなかった。宇宙人がもしもいたならそれなりの形相をわれわれに露呈しただろうし言葉も電信しただろうって。しかしよく考えると怖いのは宇宙人がコンタクトを取ってきたときにはすでに地球が終わるときだとそう思えてならないのだ。キャロルはスルーだ。何も知りたくないし、コンタクトも要らない。地球はまだ、これから再生する可能性を十分秘めている。みんなが自分のことばかりに言及せず、ほかの人々の苦しみを思う、その思いやりからだと思うんだ。そうすれば必ず伝わる。どんなにニッポンが経済的に難関を迎えて艱難状態であっても人々の暮らしは今のところ、中の中なのだ。そして芸術分野や科学の分野でも相応の光が集まっている。急げニッポンとはいわない。ハ~リアップとも言わない。亀のような歩みで十分構わないのだ。みんなの気持ちが優しくて寛容であれば道はおのずと開けていく。これをフリーメーソンの反意語として出してこう。フリーソーメンだ。