先にこのオレガイだけしたためて外出しよう。今日はマサトの四ヶ月検診日なのだ。長崎市内はここ何日かとても冷え込んで、キャロルも昨夜はジーンズの下にタイツを穿くアリサマ。ここまですればかなり効果が見込めて違うという。確かに仕事場であるコンビニの中は、常時二十一度くらいに設定で暖かいものの、ゴミを出しにいくときや、クルマを移動する時、キャロルも店外に出ることが時にあってタイツ防寒に及んだらしい。俺は気さくに若者達と、或いは店の長老達と働くキャロルに尊敬の念を抱く。俺ならとても他人さまと合流することなど難しいだろう。そういう小さな手腕をなんと呼んだらいいのだろう。恐らく他人に紛れ込む力、溶け込む力だ。列記として根が従順な証しにもなろう。そういった柔和さこそがこれからの不測の時代を打開していく鍵といえる。その超高齢化社会の幕開けには先行きの見えないものを見る力と同時に老齢化の及ぶ処と及ばぬ処を個別チェックして歩まないといけない。人々はボックスという時代の担い手であり痕跡なのだ。デルスカイしておこう。うるう年検診だ〔赤ちゃんの四ヶ月検診のように四年をメドに、国の経済体質検診の精密検査は必至だろう、これはニッポンの在住の経済分野のドクターだけの検診では結果が見にくい、世界基準と照らし合わすことが必須だ〕