ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔85〕キャロルが切れ易いのに、人気があるのはドジだからで、その頃も、一度、遠い場所で自転車に轢かれて倒れてしまいます。理由がどっちの道端でおしっこするか?当時まだ、外で用を足す人々は容認されていて、子供達もオシッコ~といって道端でしていたのです。キャロルは幼児でありながら高い美意識を保有している。どっちの道端で用を足しても同じだろ?という感覚ではハナシにならない。両親は四十八歳の抵抗についてを議論激論しているようなハイソサエティ。もちろん道端でしなければならないそういった緊迫状況もありました。道に迷ってとことんまで我慢していたのです。どちらの道端にも難はあり、行ったり来たりしているうちに自転車の車輪に足が轢かれ、あの痛みは今でも忘れない。おしっこを漏らしてしまい、家まで送ってくれて、謝罪に夜もその青年は尋ねてきてくれます。人間の元来ある恩義や謝罪をキャロルは知り、嬉しくなるんですね。いつも父をけなしてばかりの母がこのときばかりは、神妙な面持ちに変わっていて、子供ごころにびっくりしたのです。女が脅かされるのは子供が絡んだときなんだな?ふだんは見せない、健気な母、慎ましい母がそこにはいて、キャロルは早計にもこう先読みしたのです。その夜は興奮して眠れません。普段は見せない母の本当のこころの素顔・・・ここは解明すると面白いかも?と。母には、男を立てないそれなりの理由があるのでは?