ひとつの家を想定する。その家族だ。いつも喧嘩もせず仲がいい。そういうモデルハウスのような家を想像してケッコンするからシンドい。うちの三人の息子がケッコンに懐疑的なのはわかるし、ケッコンの定義自体あいまいだ。少子化にハドメをかけようとして誰もケッコンしないからだ。キャロルの場合は家庭にいる主婦がものを言えるのか?言えないのか?だったが、新聞はまず脱落。しかし、他の業者が打って出た。主婦はものを言える、そういう時代を引き寄せた。仕事を持っていようと、持っていまいとそこは関係ない。主婦は堂々とものを言える時代になったのだ。その快挙を完璧な両輪にするのは、下積み時代、若い主婦の期間に育んだ家庭の歴史が掴んだヒントだろう。実際にその現場にあって、苦労しないと子供を育てる母親の苦労は決して見えては来ない。キッカケはゴールデンウィークだった。この期間にキャロルは主婦の苦悩を知る。家族七人で、7×3=21。連日、毎日二十一食が要求されて初めて主婦の苦悩を知る。子育てのみをやってりゃいいっていう易しい問題ではない。それでも書いた。書く事を優先した。レストラン経営よりも主婦の仕事は大変なのだ。