母性とは真実何を意味し肯定するのか?ずっと考えつつ迷路にあったと・・・。迷路の終点ではないものの、歩き方がわかってきた。子供たちが、自身を乗り越えていこうとしているときに強いプレッシャーが掛かり、自分の憤怒を全部相手にぶつけたことが効を奏じたのかな?この忍耐の子供達五人と我慢のシゲコの存在は偉大だ。キャロルがここまで書き続けてこられたのは、何を隠そう、専業主婦だったから・・・。その子育ての合間、腕を振るって、キャロルはペンを動かした。どうやら、その生き甲斐も形になってきたようだと歓んでいる。なぜ?キャロルは元々、母性というものを疑い試着したのだ。自分を犠牲にしてまで行われる無償の愛の存在など、絵に描いたもちなのでは?と。しかし、こうして、彼らにシゲコにお雑煮をふるまう為に野菜を切り準備をしている自分のこころの果実に平安に驚かされる。証明などしなくてもこの苦しみでわかっている。肌で感じて余りあるのだ。母親の仕事が厨房で見事な花を咲かせるときにもしかしたら、もちは本当の餅になるのだと。でわ西嶌キャロルのショトタンお願いします。普段ならば 未使用のグラス 食器ですら 全部出払う 楽しい厨房〔初めてのピアノ発表会で弾いた楽しい農夫を掛けてる〕