ルビー・ウーマン《復讐の館編》〔75〕エリーゼのためにを思い出しましょう。起承転結があるんです。起はあのミレミレミシレドラーで、レにシャープ。ミにフラット。同じ半音もシャープフラットと呼び名替わるという変幻自在性。ここが音楽のいい意味での自由空間。そしてこれが半音でないなら?そう、凡作だし曲自体進行すらしない。そして明るい展開へ替わる。この曲の中で最も手指の潤滑オイル必須部分で、手がかじかんでいいたら温めないといけない。指の練習を怠っている人々なら毎日弾くようにしないといけません。この指を動かすという行為が老化防止になる。そしてあとは暗い激しい連打になりそれが転、そしてもとに戻る。イントロと同じ。何かに気が付きません?そうです。ベートーヴェンもあの世で、きっと残念がっているのは、せっかく、起承転結があるのに、起と結が同じメロディ。し、しまったな・・・と蒼ざめているし、キャロルも思うのは、彼なら結をこう作曲するだろうな・・・っていうのともう一個。一週間といわず、二日あれば彼なら出来るのでは?という予想です。同じ天才枠だからこそ判るし、芸術は文と音でも共通項があるという一点。なぜ?出し惜しみではないのです。ベートーヴェン大作の交響曲ではちゃんと揃えてあるのになぜ?となる処でしょう。彼もお金に追われていたし、仲間だったシューベルト、一年後、後を追うように亡くなる。今がどれだけ恵まれた時代であるか、みんなはよく呑み込めたでしょう。人間が最も輝く地球謳歌の世紀を迎えているということです。国や職域や地方という砂丘に埋もれることはまずないと思って下さい。名もないキャロルの文章でさえ世界末端にまで届いているのです。