ルビー・ウーマン《ロイヤル・ボックス編》〔56〕弟がキャロの勉強している姿を見たことがないはずで、キャロはほとんどの時間を余暇を毛抜きを使った抜毛に費やしていた。永久脱毛の技術も当時はほとんどありません。キャロは女の子である自分を人に、対外的に、良く見せたい願望があり、美しい女の子を観て真剣に参考にした程です。千鶴ちゃんの時にもあのスタイルは真似ることは出来ないと諦めはしたものの、あの玉の髪飾りは自分も付けることは出来るわと。こうやって、キャロはどうすればみんなから、可愛いと言われるか?美人だね!!って呼ばれるか、模索していた時期にあたるかなあって中学時代を総合するのです。特にバレーボールへの熱狂が一巡してからは、美しいことは、女性の人生に大きな成果をもたらすに違いない・・・と。この観点は母も同様に持っていたはずなんですが、キャロに女性の美学を教えることはとうとうありませんでした。辛くも終戦になり、すべてのものが破滅、暴落し、文化、そして国民の流儀、たしなみ、風情、あるべきはずの恥、しとやかさ、男の威厳まで地に堕ちて、そういった諸々すべてが木っ端微塵になっていき、そのどうしようもないニッポンの1945年以降の敗戦後の生活の中から、ごく自然と芽吹いたものが、母が持っていた女性力学なのかなあって振り返るんです。家庭の中のみで君臨し、そして、父を従えてきた母は、その気概を緩めることはありませんでした。蛇に睨まれたら最後、父は蛙になるしかなかったのです。