ルビー・ウーマン《黎明編》〔52〕脇田大佐は次女をミチ子と呼び捨てにされて、驚きますが、この在野の神の滲むような優しさのトリコになっていく自分のしなやかな感性を発見、このまま、突き進む快感さえも感じていたのです。語彙力はあまり旺盛とはいえない大佐でしたから、ついて行けないと感じたときには、容子のテレパを拝借出来る、まずもって、強い味方でした。例えばね、スキンヘッドのはてなのコーナーで、hhhh2399さんの、お一人が、懐かしい、消えてはならない美しい日本語、発生してたね?なんという言葉ですか?いかんせんだよ、こういうニッポン語をそのまま、残せるとしたら、容子とそれを、取り巻く気概の若者たちとは言えまいか??こころの気概や気品は、どんな時代が来ても失ってはならないものだ。その通りですね?あ、それなら、がんぜないっていう言葉、これも当確ではないですか?お前、今、孫から、テレパをもらったろ??い、いやああ、ばれましたか、その心眼にはほとほと参ります。訝ると疑う、コロンボ刑事の場合は、どちらが当確だとお前は思う?もちろん、疑うでしょう!!それはいかなる理由で?組織のはみ出し者であっても、彼は超の付く一流であった、なぜなら、おのれの嗅覚を鍛えていたから。万人が疑いを持たないものに、最初に眼が行く、彼ならではと思います。在野の神は頷きながら、多くの文人が訝るものの、さして追及をしなかった分野を孫の容子はすでに着手して久しいとは言えまいか?それは言えますね、あれ程の、新聞スクラップを保有する図書館男である父を目の前にして育った彼女の新聞に対する認識の度合い、他の人間と同じであることはよもや無いでしょう。