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イエローダイヤ・マン《標榜編》〔161〕俺は正直いって1988年生まれが嫌いだ。この年代に生まれた者達はドライなのかトライなのかさっぱりわからず、昭和の方を向いて物を言ってみたかと思うと急に、ゆとり教育世代の顔になって個クールを前面に出してくる。正直わかり辛く気を遣うことも多い。彼らは中間層にあって、ことと次第によっては常に豹変出来る生地を既に構築で俺はそこまでドライになれない。自分の位置がわかっているからだ。1985年七月、俺は生まれて、昭和の匂いの中で育まれ、平成になったとき、三つ子の魂として記憶も新しいのだ。どんなに時代が変わってもとこしえのものがあるはずだ?いや正反対だ。俺は生まれたときからこの国に強い懐疑を抱いていた。そしてそれがどこから来るのか、ようやくわかったのが歴史で太平洋戦争を学んだ時・・・。なぜ、こんなに小さい国が世界を敵に回せたのか?そこは今も解明できてない。俺は新世紀生まれの若者たちにとって、もはや歴史の証言者かもしれずそこを踏まえてみると面白い構図も見えてくる。1988年生まれがどっちに転ぶかで随分この国が変わっていくというデイリーズシステムだ。彼らは昭和の律儀を優先する振りも出切る。この来ではなく切という文字にすべてが宿る。新時代を包括していくとき、ポイントゲッターになるのは彼らだろう。