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イエローダイヤ・マン《標榜編》〔121〕時間の配分に人生のカギがあって、そのマスターキーを所持することが要するに天下を獲るということ、政治家に俺がなってもやることは限定される・・・と思い込みしていたが、そこが見事に崩れた。小池知事の手法の浸透だ。しかし俺は自分のやるべきことと、成すべきために必要なことを分類する。政治家に求められることと、俺の仕事に求められることは本分が違っていて俺は忌憚もなく自分の思いを書き連ねるだけでもいい。裁可は下りる。この明瞭な事実にどこか安堵する。もっとも大変な人々は飛行機に乗って時間シェアする要人だろう。俺は市民の立場や多くの大衆のdocokaいればことなきを得る。余りに安易ではないのか?とも思うが、それはメディアの限界をそもそも露呈する。相手の怠惰が俺に勝機をかもし出し、探しついでに俺は週刊朝日を改めて開く。この図書館は古い週刊誌も観覧出来て重宝する。1962年・・・母が生まれた年の流行語だが無性に知りたくなる。なぜなら母こそ時代を象徴するアレルギーだと直感するからだ。希望の塊すら無かったくせにすべてをやり終えたという、顔で笑ってというタイプだ。そこで見た東洋の魔女という言葉が俺を釘付けにしたのだった。